あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
例年の年末は撮影データやアルバムの納品作業で多忙を極めるのですが、昨年末はそこまでの忙しさはなく穏やかに新年を迎えることができました。
大掃除をしたり年賀状の準備をしながら過ごし、ふと新年のお天気を確認すると元旦の天気予報は「晴れ」。
ぼくはひとり近くの山へ初日の出を見に行くことに決めました。
まだ外が暗い中、家族の寝息を聞きながらゴソゴソと支度をしてヘッドライトをおでこに巻いて準備万端。
しんと静まり返った道をずんずん登って行きます。
ただただ寒く。いくら心拍数を上げても頬を差す冷たさはなかなか解消されません。
真っ暗な山道に足を踏み入れるのは気持ち良いものではないけれど、少しずつ空が明るくなりはじめ、気分も晴れやかに。
枯葉を踏みしめ、岩を乗り越え進みます。
家を出発してから1時間あまりかけて開けた場所に着きました。
これまでだれひとり出会わなかったのに、ここではすでに数人の人が東の空に目をやりその瞬間を待っています。
そしてわずかな待ち時間で雲間からオレンジの光がぼくたちを照らします。
冷たかった体は光を浴びで徐々に暖かくなってくるのが分かります。
息を呑む美しさ。隣の男性は長い間その光に向かって手を合わせていました。
その祈りの姿に胸を打ちました。
そしてぼくも真似てそっと手を合わせました。
「いつもありがとう」「今年は良くなりますように」
当たり前に年を越して、太陽が昇って、それを眺めに行くことができる。そのことにまず感謝します。
そして昨年は世界で信じられないような出来事があり、多くの人命が失われました。もうそんなことはなくなって欲しい。
世界中の人が当たり前に明日を迎えられるような世の中になってほしい。
自分ひとりでは何のチカラにもならないけれど、太陽に向かって願いました。
山を下り、近所の神社への初詣も済ませて帰宅すると子供たちはまだ夢の中。
「昨日は遅くまでテレビを見てたんだろうな~。」
「10代の時の大晦日やお正月ってワクワクしたな~」
なんて30年も前のことを考えてしまいます。
ぼくの人生で唯一「当たり前の日常を送れなくなったこと」がありました。
それは28年前。1995年の阪神淡路大震災の時でした。
街は崩壊し、ぼくの住む家も全壊しました。食べることも眠ることも大変でした。
風呂には1週間入ることができませんでした。
その震災が起こったのも1月です。
1月は「当たり前に生きていること」への感謝をするタイミングなんだなと思います。
日々仕事や身の回りのあれこれで、立ち止まって考える機会は少なくなっているけれど、1月は身の回りのこと考える時間を持ちたいと思います。
すやすや眠る子供の寝息を聞きながらそんなことを考えました。
河田洋祐